M市に建つMマンションは30年が経過、その間の家族構成や環境の変化によって、部屋を手放したり賃貸にする区分所有者は珍しくなくなりました。
Mマンションは駅チカではなく、特別な設備もなく地味な外観なので、ぜひここに住みたいという人は少ないと思いますが、これまで目立った事件や事故はなく、修繕積立金も順調に積み立てられています。
Aさんは倉庫代わりにしていたMマンションの部屋を引き払い、賃貸に出したいことを不動産業者へ相談したところ、外国人でよければすぐに入居希望者がいるとのことで、リフォームもしないまま即入居となりました。
Bさんは借家人の退去後、しばらく放置していましたが、館内に入居募集を掲示したところ、意外にもすぐに希望者が現れました。
Cさんは手狭で使い勝手が悪くなった部屋を売却しようと、同マンションに事務所を構えるE不動産に相談したところ、そのEが買い取ることになりました。
Dさんは賃借人が居住したままオーナーチェンジをインターネットを使って成約させました。
このような変化が続く中でも、毎年の総会では区分所有者の出席は少なく委任状を提出する等、管理会社任せにしていました。
長く理事長を務めていたDさんが部屋を売却したため、複数の部屋の所有者になったE不動産の代表が理事長に就任しました。なお新理事長は外国籍ですが法的に国籍についての条件はありません。
新理事長は管理費の削減のためとして管理会社を変更しました。理事長が経営する不動産会社の関連業者が次々と修繕工事を行い、修繕積立金がみるみる減っていきました。
一部の区分所有者が危惧の念を抱き、理事長解任を試みましたが、他の外部在住の区分所有者の多くは家賃収入さえ確保できれば何の問題もないという対応でした。
そんなことより、この時点で区分所有者の1/4を超える区分所有者がE不動産会社の代表と同国籍で、そして賃借人の半数以上が同国人という状態になっていました。
館内の掲示板には同国の言語が使用され、そのE不動産がコントロールする実質上の乗っ取りマンションになりました。
こうなると売買も賃貸も一般の相場での取引は難しく、E不動産が買い叩く負動産になってしまいます。
(規約の設定、変更及び廃止)
第三十一条 規約の設定、変更又は廃止は、区分所有者及び議決権の各四分の三以上の多数による集会の決議によつてする。・・中略・・規約の設定、変更又は廃止は、当該一部共用部分を共用すべき区分所有者の四分の一を超える者又はその議決権の四分の一を超える議決権を有する者が反対したときは、することができない。
(集会の招集)
第三十四条 ・・中略・・
3 区分所有者の五分の一以上で議決権の五分の一以上を有するものは、管理者に対し、会議の目的たる事項を示して、集会の招集を請求することができる。
つまり、一定数を確保しておけば、自分たちが都合の悪くなる規約等の変更はさせないことができ、自分たちに都合の良くなる要求はいつでも総会を開催して提案できることになります。
悪意の有無にかかわらず、気付かないうちに浸食されたマンションは、資産価値を維持しつつ平穏に暮らしたい人にとって、もう取り返しがつかなくなります。
都内約14万人(7万8千世帯)が暮らすM市の市長の発案で、滞在3か月だけで外国人の住民投票権を認める案が委員会で可決されたと報道がありました。
投票結果は法的な拘束はないというものの、その結果は尊重するというものです。
最近では、大阪都構想で住民投票が行われ、結果は僅差で賛成票は過半数に届きませんでした。外国人に参政権は無くても、もし外国人へ住民投票権を与えていれば逆転していたか、少なくとも地域の将来を左右するほどの影響はあったかもしれません。大阪府には外国人がM市を超える25.3万人が居住していますので、一つの勢力になりうるのです。
M市長の「多様性を認め合う支え合いのまちづくり」イメージが、世界中の様々な人々が手を取り合って暮らすお花畑のような町・・・とは、さすがに想い描いてはいないでしょうが、多様性にならなくて一様性(特定国)を税で支えて、Mマンションのように気付かないうちに特定の国に浸食されることを危惧してしまいます。
M市= 市長等及び議会は、成立した住民投票の結果を尊重するものとします。
画家が「冬」を色々な想いで描いています。
最初のモネの2点、目から入った情報が人の記憶をリアルに呼び起こし、冷気までを感じさせてくれます。夏になったら冷凍庫で保管しないと溶けてしまいそうです。
広重の「蒲原宿」には大雪が積もっています。富士川の河口付近には、今は殆ど雪は降らないですね。
叫んでいないムンクの絵もあります。並木が揺れていて船酔いしそうです。道の先っぽがやけに明るいのは謎ですね。
カディンスキーの「冬の風景」の中のどの辺りが冬??なのか、私には見つけられません。白い雪などを描くのは、彼のこけんにかかわるのだと思います。
アルチンボルトの四季シリーズのうち、冬には人気はなくてもトラウマティックな存在感があります。
実を2つ残したことで「木は枯れて(死んで)ないぞ」という彼の主張が見られます。
松尾好朗