スラブ下配管が専有部なのか?

 「東京地裁令和2年1月29日判決」判例集の中では探せなかったので、センター通信10月号の記事を拝借します。判決への流れを簡単にいうと・・・
 【マンションの2階に住むAさん宅の排水が不良のため調査したところ、床コンクリ―トスラブ下(1階の天井)の排水管腐食による閉塞が原因と判明、1階に配された排水管を修理して復旧しました。1階は共用駐車場です。
 その排水管は天井から壁を伝って下り、共用の主排水管または排水桝へ合流して公共の排水管に継がれていくものと思われます。(明細資料なし)
 修理部分はスラブから外の共用部分であるため、管理組合へAさんが立替払いしている修理費用20万円を請求をしました。
 しかし、駐車場天井にある排水管の修理箇所は他の部屋からの合流がなく、Aさんが専用使用しているため、修理費用はAさんが負担するべきと管理組合が主張しました。
 Aさんはコンクリートスラブに囲まれた内側の専有部分から外の排水管の不良であり、駐車場が共用部分であることは管理規約にも明記され、管理組合が負担するものと主張し裁判となりました。
 そして裁判所の判決は、管理組合の主張の通り、排水管は共用部分に設置されていてもAさんが専用使用していること、管理が容易に出来ることを理由として共用部分には当たらないとしました。】

ピエール=オーギュスト・ルノワール
《読書をする女性》1874-1876年

 まず、一般人の中には駐車場の天井の多くの配管の中から「これがウチの排水管です。」と見分けることができる人は少ないと思います。その駐車場天井にある専用使用している配管は、容易に管理ができる存在であるのか非常に疑問です。もし、車が駐車されている直上にその配管があり、汚水、雑排水が漏水して他人の車を汚損させた場合、上階の区分所有者に責任があるという解釈になりますが、そんなことは全く知らずに生活しているのが普通だと思います。

 もし共用の排水本管や排水桝に合流するまでその専用使用している排水管が長く建物を這っている場合も、Aさんの責任と費用で管理せよということになります。
 詰まりの原因がすぐに判明しない場合等は調査のため、駐車場契約者に自らが交渉して場所を空けていただき代替駐車場を探し、その手配や支払いもしなければなりません。
 場合によっては埋設排水管(連結部分)を調査することになることも考えられます。
 このようなリスクがあることは、マンション購入の重要事項説明書に記載しません(売れないので)が、責任はどこに問えばよいのでしょうか?

 通常は、区分所有法第9条に該当すると考えられます。
(建物の設置又は保存のかしに関する推定) 
第9条 建物の設置又は保存にかしがあることにより他人に損害を生じたときは、そのかしは、共用部分の設置又は保存にあるものと推定する。

 これまでの解釈だと、明らかに専有部内が原因である場合以外は、共用部分が原因と推定するとされていました。
 最高裁判例 平成9(オ)1927 建物共用部分確認等事件を参考にしてください。
 関連したところでは、標準管理規約に(敷地及び共用部分等の管理)第21条2 専有部分である設備のうち共用部分と構造上一体となった部分の管理を共用部分の管理と一体として行う必要があるときは、管理組合がこれを行うことができる。
 専有部分の排水枝管は共用本管とつながっているため、定期的に設備一体として管理組合が実施する全館の排水管清掃がありますね。

 現場がどうこうではなく、裁判官はあくまでも法律の範囲の中で判決を下すので、今後もこのようなあれれっ?と感じる判決に出くわすこともあるかもしれません。
 私たちマンション管理士は、区分所有者以上に管理規約や使用細則、そして総会の決議事項を把握しておかなければ、アドバイスなどができるはずもありません。各マンションの特徴、特性を理解して、様々なケースを想定して管理規約等に追加記載しておけば裁判所もそれは否定できません。

ジャン・オノレ・フラゴナール
《読書する娘》1775年頃

 秋は読書です。
 読書をする女性を集めてみました。

クロード・モネ
《春》1872年
メアリー・カサット
《縞模様のソファに座って読書をしているダフィー夫人》1876年
フェデリーコ・ファルッフィーニ《読書家(クララ)》1865年

 今は読書離れと言われていますが、まだ文盲率が高かった時代は一冊の高価な本を、字を読める人が朗読し、多くの人が集まって聴いていたといわれます。
 ここに出てくる本を読んでいる女性は教育を受け、字が読める人たちです。
 画家が女性と知性を表す本の組み合わせに魅力を感じるというよりも、画家が「本を読んでていいから」というと、モデルを探すのに楽だったという理由があったのだと思います。
 フラゴナールの「読書する娘」は知的で凛とした印象深い作品です。電車でスマホをにらんでいる女性たちから最も遠いところにいる存在だと思っています。
 本を持つ手の指は後世に何かのサインを我々に送っているのでしょうか?
松尾好朗