ご報告2件と、台風のこと

1件目
 次の通り「大田区マンション管理士会」主催の無料相談会の開催を予定いたしました。
 日 時:11月26日(日曜日)14:00~ 
 場 所:エセナおおた
 テーマ:マンション管理全般のご相談

 11月1日付の大田区報、及びこのHPにてあらためてご案内いたします。
 ご相談はいつでもこのページ「お問合せ」や電話で受付しております。
 出張相談は1回目までは無料ですので、お気軽にお問合せください。
2件目
 今年の1月末に、このHPで大規模修繕工事の施工会社を募集しました。
 応募いただいた会社の競争見積を経て、1社と無事契約に至り、準備期間を経て、本日から足場工事に入りましたことをご報告いたします。工事完成は12月末を予定しています。
 ご協力いただいた皆様に御礼申し上げます。
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 台風被害が目立ちます。
・子供の頃の私は、休校になるので台風来いと願い、増水でどこからか逃げ出した錦鯉や金魚を運河で見つけて興奮し、人の気持ちも考えず近所の家の瓦が飛ばされた被害を大げさに触れ回るアホな少年でした。

モイズ・キスリング《赤いセーターと青いスカーフのモンパルナスのキキ》1925年
記憶に残る魅力的な作品です。

 今はマンションに住んでいます。
 木造戸建てに比べれば台風には圧倒的に強いですね、これっといって準備も要らず、安心感に大きな差があります。
 もし建物に被害があっても、個人ではなく、修繕積立金から復旧費用をすぐに捻出できます。保険が使える場合もあります。
 また、台風を何度か経験することで建物の弱点や排水状況等に気付かされ、効率の良い計画修繕ができます。

・学生の頃、看板屋のアルバイトをしていました。字や絵を描くのと現場に取り付ける作業の両方の仕事がありました。
 ある程度慣れてくると、小さな現場はアルバイト仲間だけで出張していました。遠足気分でした。

 指定場所に柱を組んで看板を取り付けるのですが、決して手抜き(^_^;)ではありませんが、早く終わらせて遊びたい気持が優先していた傾向がありました。
 建てた後、暴風になれば大きな面でまともに風を受ける(昔の)看板なので吹き飛ばされていないかとそのたびに心配していました(今は風が抜ける仕様)。

 解体工事の足場が台風で飛ばされたというニュースがある度に、関係者は夜も眠っていられない気分だと思いますね。

モイズ・キスリング《スウェーデンの少女、イングリットの肖像》1932年
表情がメランコリック(物憂げ)ですね
日本では五一五事件があった年です。

・若いころ、あるメーカーの独身寮にいたことがあります。
 日曜日、地域が台風の進路に当たり、独身寮の男たちが招集され号令が出ました。「工場の屋根(平屋トタン葺き)が飛ばされないようにみんなで守れ」と。
 ありったけのロープで屋根を地上から押さえたけれど足りません。そのうちに風が強くなってきたので、何人もがトタン屋根の上で人間を重しにして風雨に耐えた記憶があります。台風進路がそれたので大事なかったのですが、今では考えられないですね。昭和の一コマでした。

 埼玉・沖縄・大阪で強風で屋上のソーラーパネルが吹き飛ばされた写真です。無計画、素人工事の結果がこれです。

・台風やゲリラ豪雨でマンションのエントランスホールからエレベーター室に雨水が流れ込まないようにするため、土嚢を用意することになりました。
 土嚢袋は安価で販売されています。しかし、その中に入れる土をどうやって手に入れるのか、その辺の土を勝手に使うことは窃盗になりますので、園芸店で土砂を購入することになります。

モイズ・キスリング《サン=トロペでの昼寝(キスリングとルネ)》

 100㎏以上の土砂を誰が運搬して袋に入れて、どこに保管するのか、車の床が汚れるとかやっているより、水で膨らむ吸水ポリマーが仕込まれた土嚢(軽量)を購入し、万が一の対応をとる方が結局は安価だと思いますね。置き場所に困ることもほぼありません。

 文中の絵画は、モンマルトルの洗濯船と呼ばれるカフェに集まったゴーギャン、ピカソ、アンリ・ルソー、モディリアーニ、ブラック等にユトリロ、シャガールに藤田嗣治が加わりエコールドパリというパリで活動する外国人芸術家の一人、キスリングです。

 私の想像ですが、キスリングは遠視ではないかと、このマルセイユの街並の遠くまでかなり細かく描かれています。一般の画家は遠くはぼやかして自然な遠近感がつくのですが、遠くまで見えてしまう人は描いてしまうんですね、だから全ピントが合った絵葉書のような少しうるさい絵になりがちです。

モイズ・キスリング《マルセイユ》1940年

 

南フランスの港町サナリー・シュル・メール

 ユダヤ人のキスリングは仏の降伏の後ナチスから逃れ米に亡命、仏国籍になり62歳から南フランスのサナリー・シュル・メールで亡くなるまで暮らしました。
 若い頃から画家として売れていましたので、同期のエコールドパリの画家たちの生活から比べると恵まれていたと思います。
松尾好朗


 
 

 

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