フランスパンの包装から

 昔々のこと、英仏海峡をフェリーで渡り、小さな港町に上陸したのがが私の初フランスでした。
 当時のイギリスメシに辟易していた私は、無性に本場のフランスパンを食べたくなり、その町のパン屋へ入り、もう売れ残りの時間かなと思いながらもカウンター越しにバケットを指さしました。店の人は折り紙ぐらいの小さな紙にバケットの中央だけを包み、笑顔と一緒に私へ手渡してくれました。 

René Magritte (1898-1967)L’avenir 未来
René Magritte (1898-1967)物の力

 日本では過剰包装が問題になっていた時代、このシンプルで機能的で明確に役目を果たす完璧な包装は、強いカルチュアーショックを体感したのを覚えています。また、欧州に劣等感を持ったり、迷っていた私に前に進むヒントを与えてくれた気がします。 
 今年、レジ袋を悪者に仕立て、袋の有料化やマイバッグが普及しました。軽くて丈夫で安くて清潔で加工も自由なポリエチレンフィルムの袋は素晴らしい発明品だと思っています。
 海洋プラゴミや地球温暖化を防ぐ目的云々、要はその袋は本当に必要なの?と、自分たちの生活スタイルを見直すためのきっかけということでしょうね。

 毎度毎度の「袋はお持ちでしょうか?」では、袋はもらわないものの、私は100均でレジ袋のようなゴミ袋を買ってレジ袋としても使っている悪者です。(555)・・・タイ風の(笑)や(www)です。5の発音がハなのでハハハです。SNS上でよく使われています。

 フランスパンの絵です。パンは知っている限りでは15世紀にダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のテーブルの上に転がっている固そうなパン、美術の教科書でおなじみのフェルメールの「牛乳を注ぐ女」(1658年)にみられるブツブツのパンが有名で、ベラスケスをはじめ多くの画家が描いていますが、パンはサブの存在、でもこのマグリッド、セザンヌ、ダリの絵ではパンが主役で存在感があります。
 そして、おいしそうでもあります。食べ物の絵はここが大事なところです。

 2020年は今日でおしまいです。
 たらたらと愚痴を聞いていただいてありがとうございました。
松尾

パンと卵のある静物
1865 ポール・セザンヌ
『パン籠〜屈辱より死を〜』1945年サルバトール・ダリ
スタンラン ≪パン屋の少女≫ 1895

100年マンションの幻想

 100年マンションは響きのいい言葉です。
 その頃は自分はいないけれど、次の世代がきっとうまくやってくれるだろうと勝手に幻想を抱いている人が多いのですが、今の世代がしっかり準備を始めていないと、次の世代には厄介な負の遺産となるかもしれません。

 人間だって50歳も過ぎれば、化粧をするだけではボロは隠せないのと同じで、骨格も筋肉も強くして、臓器も血管も検査治療しなければ元気な体は維持できません。
 建物を適時適切な維持管理をすることなく放置すると、居住者は快適性を求めて去って行きます。空室が目立ち、そうなると査定も厳しく、売却したくとも希望価格には程遠く、部屋を借りたいという人もいなくなります。
 荷物やゴミの放置が始まるとスラム化の合図です。
 しかし、部屋を売却をしない限りは区分所有権は存在するので、誰も住んでいなくても、固定資産税や、毎月の管理費・修繕積立金は払い続けなければなりません。

『流行性感冒』(内務省衛生局1922年)

 では、マンションを建替えしてはどうかという話も、建替えの増床利益や商業ビルへと勝算が見込める立地でなければデベの手も上がらず、資金力の乏しい組合単独では難航するのが見えています。
 建物を解体して敷地を売却精算したいと思っても、敷地が一等地でなければ、解体費用が土地代を上回り、住まいもなくなり借金が残るだけの可能性もあるのです。

『流行性感冒』(内務省衛生局1922年)

 マンションの供給過剰、人口減少の現状を理解しなければなりません。いずれ法も改正されて国が助けてくれるのではないかと思うのは夢物語です。
 築年数が高くても、魅力のあるいわゆるビンテージマンションは多く存在します。繰り返しになりますが、適時適切な維持管理を施していれば資産価値も保たれます。
 投資目的の区分所有者は、特に修繕積立金の値上に反対する人が多いのですが、目先の小銭を確保するのではなく、長く利益を得ようと思えば発想を変えて欲しいものです。

 挿絵に使用したポスターは、友人から紹介されたものです。スペイン風邪の予防のポスターだそうです。一生懸命さが伝わりますね。
 先ほど香港の周庭さん(Agnes Chow Ting)の代理人から、本人が書いた「気を付けてください!アグネス」というメッセージが届きました。あなたこそ囚われの身で、体に気を付けて下さいと言いたいです。
松尾



管理員さん気を付けて

 「地元の人たちへも顔を売っておいた方がいいよ」と理事長に依頼され、Aマンションの管理員のBさんが町会の会合に出ることになりました。
 理事長は忙しくて出られないのか、出たくないのか、毎月の会合や催事に費やす時間と労力は人によっては確かにヘビーです。
 管理員のBさんは隣の市から通勤しています。本来はその町内会に住んでいる人が対象なので、理事長は管理会社を通さずに直接管理員に無理を頼み込んだようです。一種のパワハラですね。(笑)
 後で理事長から聞いた話では、町会活動の毎月の参加について他の役員に依頼したところ、全員から「無理です。」と断られたようです。(泣笑)

ギュスターヴ・ドレ1832-1883
ウォルタークレイン1845-1915

ジェシー・ウィルコック・スミス
1863-1935

 新型コロナウィルス感染の心配もなかった2019年のこと、町内会での立場はAマンション代表である管理員のBさんは、町内会が催す盆踊りの櫓組み作業を手伝うことになりました。これで終わりではなく、盆踊りが終わった時にも呼び出され少人数で、櫓の解体作業を蚊に刺され泥まみれになり終了、解放されました。
 管理員のBさんは、町会の会合の中では発言せずにいたのですが、Aマンションの管理員であることを明かした後は、明らかに「下層民」の扱いを受けたことを感じたと言います。盆踊りが終わった後の汚れ仕事を回され、皆が打上げ会の時間には、解体した櫓の材木を町はずれの倉庫に納める作業を夜遅くまでヤラサレルはめになりました。
 いつも協力的でないAマンションだからということもあるでしょうが、Bさんはもうこりごり、元々運動不足解消のため管理員をしているので力仕事は平気ですが、上から目線で、段取りの悪い指示をする町会の役員たちを相手にするのに嫌気がさしたので、次は断るとのことでした。

 すべての町会とは言いませんが、町会は区や会員が支払う町会費等からそれなりの予算を受けての活動の中、おきまりのような催事を人をタダで労働させて行うのではなく、それ相当の対価を払わないと、あてにしていた人から当日キャンセルや途中抜けをされたり、責任感のない仕事をされたりしてしまいます。また、リーダーシップをとる人がいないと各自の目的意識があいまいで指示待ちが多く、緊張感も達成感も期待できません。
 今年は幸いと言えませんが、町会の会合も色々な催しも新型コロナウィルス感染防止のため中止でした。

 この機会に町内会役員だけが自己満足するような催事が必要なのか、打上げの会だけに「出席」する高齢役員が非常時でも何か役に立つのか、町内会の本来の仕事は何をするべきかを考えて欲しいですね。

 「~気を付けて」つながりで「赤ずきん」のイラストを並べてみました。
 挿絵の変化も見られますが、内容も最初の頃はみんな食われたり殺されたりの教訓めいた内容でしたが、狼だけ懲らしめるに変化、日本の童話では狼がもう悪いことをしませんと反省(笑)して終わります。
松尾

稚拙美

 都内Aマンションのエントランス、ドアの引手を握ったところ違和感というか痛みを感じました。
 公共性のある場所では、握りやすい丸パイプ等の握りバーが一般的ですが、Aマンションのものは特注のようで、バーが細く断面は正方形で角の面取りが少なく、バー上下の切り口は鋭角に尖っていました。
 バーの下端が幼児の顔や頭の高さなので、風の強い日はドアごとあおられて、角に強く当たれば骨まで突き刺さることもあるかもしれません。
 ここはデザイナーズマンションといって売り出されました。
 販売会社にとって良いデザインのマンションとは、他より高く売れることだけで、他との差別化という言葉を自分勝手に解釈しているようです。
 このドア引手のように、わざわざ「デザインしたんだぞ」と言いたいがために安全性を軽視した幼稚なデザインをされては、ウン千万を払う購入者はたまったものではありません。

アンリ・ルソー 「子供の肖像」1908年

 なんともインパクトの強い肖像画ですね、一生懸命な想いが未熟さを軽く凌駕しています。この稚拙な美しさは、あまたの美人画を価値のないものしてしまいます。
 モデルの子がこの絵を見て喜んだかどうかの記録は残っていません。(笑)
 以前の「不協和音」の投稿にもアンリ・ルソーが登場しています。表題の「稚拙美」とは技術的には拙く未熟でも、素朴さ純粋さ素直さが、かえって強く感じられる美をいい、幼稚とは違います。

 スペインの教会の彫刻を神への一途な想いで修復したものの、技術が伴わなかったため残念な結果になったというニュースがありましたが、想いだけでは稚拙美にはなれなかったようです。以前の似たケースが次の2点、各左がオリジナルです。ちょっと笑えます。

「Ecce Homo(この人を見よ)」という題の19世紀の壁画

バルトロメ・エステバン・ムリーリョの作品の複製画

 中国では清朝の絵画を修復したところ、どう見ても別人の作品になったことがありましたが、現地では良くなったと、我々とは違った評価がされています。

 多くの漢字を意味のない記号に変えてしまっても平気な(新しい価値観の?)文化を持つ国ですから、修復の意味を理解するのは難しいです。

 他国の悪口と一緒に世界中にバラまいている「平和の少女像」なるものがありますが、彫刻(芸術)作品としては二流にも届きません。

清王朝時代の壁画(上がオリジナル)

 敵を殺してなんぼの時代のことを、現代の基準で謝罪と賠償を語ること自体かみ合うわけがありませんが、もしこの像を一流作家が手掛けていたら、世界中の人の心を動かし、日本人の受け止め方も少しだけ違っていたかもしれません。 
 この像は初期の単体からベンチになり、今は椅子が二つあり空けた一つは、未解決のまま亡くなった戦争犠牲者と痛みを分け合う場という理由を後付けしています。像の隣に座っての記念撮影は、観光地にある顔出し看板となんら変わらないレベルです。
 正義連は潤沢な資金をケチらずに、もし一流の彫刻家に依頼していれば、正義連ならぬ実はイカサマ連だったことも未だバレていないかもしれませんね。
松尾