悪意なき悪意

 本日(5/23)の相談会の中止はすでにご案内のとおりです。次回をご期待下さい。

 さて、Xマンションでの出来事です。
 居住者のAさんは共用エントランス付近でこのマンションの専有部らしき鍵を拾ったので、管理室に届けました。
 管理員は鍵の落とし物が届けられていることのお知らせを掲示したところ、Bさんが名のり出て、鍵は無事に持ち主へ返すことができました。
 少し昔なら、鍵を落としたBさんがAさんにお礼を言ってハッピーエンドが自然な流れでしょうが、Aさんは管理室に届けたときには自分が拾ったことを落とした人には言わないで欲しい、そしてその人が誰かは自分にも知らせないで欲しいとのことでした。

John_Everett_Millais_(Ophelia)
ジョン・エヴァレット・ミレイ
(オフィーリア)1851-52

 これは、もしBさんが悪意で部屋に泥棒が入ったと話を作れば、Aさんは短時間であってもBさんの部屋の鍵を持っていたため、合鍵を作り部屋に侵入できたとAさんが疑われることになります。
 管理員も同じ立場なんですけどね。
 煩わしいので他の居住者とは関わりたくない、知らないで済ませたいというのは、特に都会型のマンションで生まれる行動かもしれません。

 その話をBさんが聞けば気分は良くないでしょうね。
 群衆の中で人が倒れていても、自分ではなく誰かがやるから関わりたくない、人の流れに逆らってまで助け起こすのは大きなストレスがあるので見なかったことにしたい。この心理に似ているところがあります。

アレクサンドル・カバネル《オフィーリア》1884年

レオポルド・バルト《オフィーリア》1852年
プーシェの息子の作品です。

 マンション内のトラブル防止は「普段のコミュニケーションです。」と専門家の先生は言われますが、適度な敵を作ってしまうのも人の本能であるようです。
 コミュニケーションがされていても他人同士では表面的、儀礼的なものであり、まったく考え方が違ったり、お金が絡むと解決が難しくなるのが現実です。
 ただ、相手の顔が見えないときや情報がないときは、疑心暗鬼にとらわれ相手が大きく見えたり悪い断片をつなげて悪魔に仕立てがちですので、一定のコミュニケーションは情報整理のためには必要なことは間違いありません。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作
(オフィーリア)1889年

ドラクロア(オフィーリアの死)1844年

 Aさんが暮らす都市型Xマンションはひと気がなく、隣人が誰か知りません。
 管理会社は区分所有者は把握できていますが、届出のない賃借人やその同居人については情報がありません。
 郵便受けにはほとんど表札(名前の記入)はなく、組合運営は管理会社任せです。

ポール・アルバート・スティック
《オフィーリア》1894年

 同規模の郊外型Yマンションでは、家族構成はもちろんプライバシーが許せる範囲で年齢、職業や子供の学校などの情報を得、管理組合が高齢者に関してのデータも把握しています。
何より地域交流行事や情報交換が活発で、総会でも前向きの提案が多く出されています。工事作業中でも居住者に話しかけられることが多く都会型とは違いを感じます。
 Yマンションのように活発な管理組合のメリットは多いと思いますが、干渉されたくないという人にとっては、人対人の関係によっては住み心地が変化する(簡単に引越しができないので最悪になる)かもしれません。その点では無関心な都市型は気楽ですね。
 活発な組合を何件も担当する管理会社のフロントは忙殺され、体がもたないという裏事情も存在します。(笑)

 マンション建物設備等の基礎データ、統計やランキングも購入のときにマンションを知るのに必要と思いますが、XとYマンションではハード面ではほとんど同じです。
 別枠で、総会の実出席者の数やファミリー割合、自治会や町内会との関り度合い、独居高齢者戸数、近隣の有名店などのソフト面のデータを加えることが可能ならば、更に具体的に見えてきそうです。

 

オディロン・ルドン(オフィーリア)1900-05年
首に見える赤いポピーは、死と眠りを象徴しています。

 中古マンションデータにソフト面の一行が増えることで購入の決め手になることがあるかもしれません。
 購入を考えている部屋の上下左右の居住者情報(いい悪いにかかわらず。)があれば、なおいいですね。
 建物と居住者の高齢化、無関心層の増加の中で、管理組合の活動をどうやって活発に保つかが課題になりそうです。

 本日挿絵にしたのは、英文科卒業という人は必ず原文で読んでいるでしょう、戯曲ハムレットの場面の一つです。
 ジョン・エヴァレット・ミレイ(農民を崇高に描いたジャン=フランソワ・ミレーとは別人)のオフィーリアが有名ですが、同じテーマを多くの画家が描いています。画家の解釈によってその表現の違いを比較して楽しんでください。

 関係ないのですが、リコール名簿偽造事件の逮捕のニュースが連日報じられています。
 似たケースで私の名前が勝手に使われていたことが何度かあります。
 ド田舎で町会名簿丸写しの現場も見たことがありますが、無効が何パーセントなら偽造になるのでしょうね?
 この時代遅れな手段において、愛知県知事の場合だけが騒がれているのが不思議に感じます。 

アーサー・ヒューズ作
1852年(オフィーリア)

おまけ
樹木希林さんの本のカバー
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」と笑っています。

 最後に私の好きなアーサー・ヒューズの作品、こちらはオフィーリアが川辺にいて転落する直前の姿です。
 日本では黒船来航の前年(嘉永5年)なのに、現代の日本アニメ的な画風に感じませんか?。
 死の直前という時間と空間には、花言葉を秘めた花や象徴的な色で幻想的に背景を飾りがちですが、荒廃した原野のような背景はオフィーリアの心象風景を伝えたかったのでしょう。
 同じ作品展にミレイのオフィーリアとヒューズのオフィーリアが並んで出展されていましたが、時代は生々しいミレイの絵を有名にしました。
松尾好朗
 

無料相談会2021/5/23中止のお知らせ

 すでに区報にも開催案内が掲載され、ご参加に関してお問い合わせもいただいているところでしたが、ウィルス感染防止のため、2021/5/23相談会の開催は中止させていただきます。
 
 お問い合わせをいただいた方へは、個別にマンション管理士を派遣(無料)し、ご相談を受ける案内をしております。よろしければご利用下さい。
 事務局

découvrir l’endroit du décor : UNE ALCÔVE POUR DORMIR (decouvrirlendroitdudecor.blogspot.com)


 

弱者に強気の臆病者

 ほとんどのマンションでは「共用部分には私物等を置かないこと」という禁止ルールが使用細則などで定められています。
 例えば、共用部分である通路にベービーカーなどを置いていると、災害時には避難の障害となり、何より歩く人の邪魔ですね。美観や見通しも悪くなり、私物を放置しているマンションの資産価値は下がります。
 定期清掃の作業中、(共用廊下に)積んである段ボールが濡れたとか自転車を移動されて壊れたとか、だから弁償しろとクレームを言う居住者がいますが、これは管理規約の禁止行為上での事故ですから理屈が成り立ちません。
 適当に許していると、間違いなく「他の家も置いてるじゃないか」と屁理屈をいいますので、普段から厳しくする意味はここにあります。
 

 万引きしたお菓子がマズかったとお店に文句をいうとか、恐喝をしたら相手に反撃されて暴力を受けたと訴えるようなものです。 

 数年前、共用廊下の床を機械洗浄中に、居住者が歩行中に足を滑らせスーツ(イタリア製?)が濡れたので、弁償しろという事故があり、清掃中の掲示(滑りやすいので足元注意)や前々週から作業予定であることの注意喚起を行っているので、裁判になれば完敗はしないと思いますが、その裁判関係費用との差引を考え、保険にも助けられたので相当額を支払うことを選びました。

竹久夢二 セノオ楽譜「心と花」
1926年大正15年)

 このような弱い立場の人を(弱みを握って)強気で執拗に追い詰める臆病な性格の持ち主(チンピラ)は人間に限らず、告げ口も得意な近隣の国でも見られますね、共通しているのは、自分より強い人や大国にはめっぽう弱いところです。(笑) 

竹久夢二 セノオ楽譜「蘭燈」1921年
(大正10年)

 ルールに厳しい管理組合でも、共用廊下のオキハイ(置配)の段ボール箱が目立つようになったのは、中国武漢で発生した新型ウィルスが日本へも感染拡大した以降、宅配便の利用者が増え、在宅でも配達員との接触を嫌い、飲み物などは玄関わきに置配されたまま必要量だけを取り出し、箱はそのまま放置している状況のためです。
 感染防止を優先、段ボール箱の放置は暗黙のルール無視、楽を覚えた居住者に対してルールを元通りに戻すのは容易ではありませんね。

 マンションの郵便受けにも氏名を表示しない人が多い中、館内には役員の氏名、号室などが掲示されています。
 オキハイされた各戸玄関わきの段ボール箱には受け取り人の氏名、電話番号、勤務先まで明記している人もいます。
 宅急便などプロの配達員は自主基準があり、”李下に冠を正さず”(李下不正冠)の通り館内で疑われそうな行為は絶対に行わないのですが、ウーバーイーツなどのフードデリバリーやアマゾンの配達等で素人の配達員をオートロックのマンションにホイホイ入れていることに疑問を抱かないのでしょうか?
 プライバシー情報がお金になる時代ですから気を付けて欲しいですね。 

川端龍子「草の実」 1931(昭和6)年 

 大田区立龍子記念館において「川端龍子の院展時代」というテーマで作品展が開催されています。
 私はこの「草の実」(1931昭和6年)が以前から好きな絵でしたが、院展時代は1928(昭和3)年までの作品ですので、今回は展示されていません。

龍子記念館の様子(大田区中央4-2-1)

川端龍子「阿吽」1918(大正7)年 

 龍子は西洋画家として渡米しましたが、相手にされず日本画家に転向します。このことが日本画一本の画家とは違って、自由な発想の画風を持つ日本画家として成長します。

 大正ロマンといわれた時代、画家として竹久夢二がいます。数点貼り付けます。

竹久夢二「APL・FOOL」 大正15年(1926)
夫人グラフ表紙

 欧州ではジャポニスムの影響を受けたアールヌーボー(1890-1910 エミール・ガレ、ミュシャ、クリムト、ロートレック、スタンランなど)の平面的で曲線が多い構成から、直線で立体的な構成のアールデコ(1920-1930タマラ・ド・レンピッカなど)に変化して行きます。その流れは、ランヴァン、ココ・シャネル、バカラ、そしてニューヨークの摩天楼のデザインなどに引き継がれていきます。

 中国の男性報道官が、福島原発処理水の海洋放出について自国の仕業には知らんぷりしながら、北斎の版画を揶揄しているイラストを嬉しそうに報道していましたが、中国14億人の報道官がこれでは情けないですね、党が望む仕事では優秀な人でしょうが、「人としてマズいっすよ」です。

 中国は古代の貴重な壁画に、安っぽくケバい色で似ても似つかない「オリジナルの修復」をやらかして平気な国なので、残念ながら一党独裁体制での芸術文化水準は「修復不可能」かもしれません。
松尾好朗