専有部分と共用部分の境界を考える。


 標準管理規約では、専有部分を他から区分する構造物の帰属は次の通りです。
 (専有部分の範囲)
第7条 対象物件のうち区分所 有権の対象となる専有部分は、住戸番号を付した住戸とする。

2 前項の専有部分を他から区分する構造物の帰属については、次のとおりとする。
 一 天井、床及び壁は、躯体部分を除く部分を専有部分とする。
 二 玄関扉は、錠及び内部塗装部分を専有部分とする。
 三 窓枠及び窓ガラスは、専有部分に含まれないものとする。

と記載されています。
 2-二の玄関扉について、某マンション管理規約の例です。
 「錠、チェーン錠、ドアスコープ、蝶番で外気に接する部分以外、ドアクローザーは専有部分」と明記されています。蝶番は形状を確認しない限りこれでは分かりませんね。

ピーダ・イルステズ
(Peter Vilhelm Ilsted)

 ドアノブの廊下側は共用部分ですが、交換の場合は内外のハンドル2つで一組ですので、室内側だけを違うデザインに交換する場合は、負担割合の線引きも必要です。
 ドアノブの室内側(専有部分側)は外側(共用部分側)の形や色を合わせる必要はありません。外側ノブの心棒が合うものなら選択は自由になります。

 子供が廊下側のドアノブにぶら下がって壊れたとか、アルコーブの門扉(専用使用)に乗って遊んで蝶番が壊れたという例があります。これらは共用部分でもその専用使用権者(原因者)が交換修理費用を負担しなければなりません。

 サッシ回りの部分(ガラス、戸車、クレセント錠)に関して、一つの判例では「通常の使用に伴わないもの」とは、「計画的または性能向上のために一斉に修繕や交換をする場合」を言い、経年劣化は「通常の使用に伴うもの」とされ、経年劣化に伴う改修費用の負担は専用使用権者(仙台高裁判決・平成21.12.24)としています。

 この判例から解釈すると、総会で予算を示し十分に内容の説明をした上で承認があれば、専用使用の部分で「通常の使用に伴うもの」である経年劣化であっても、管理組合の費用で実施ができることになります。
 この地裁の判例は、当事者以外の居住者への周知不足、理事会承認だけで見切り発車した工事(総会追認を計る)、総会議案書での説明不足等、運営手順にも不備があるため、この判例が今後も基準になるのかは疑問です。

ピーダ・イルステズ
(デンマーク、1861〜1933)

 以前は声が大きい人の意見で決まっていたような、管理規約に記載されていない場所が共用部分の負担なのか専有部分なのか、修繕や交換をする場合の費用負担はどうするのか、時代変化などは無視をして公平のため先例にならうべきなのか、問題が多いです。 
 理事長が交代する度にその判断がマチマチでバラバラでは区分所有者間でその費用負担についてトラブルになることも考えられます。
 区分所有法 第九条(建物の設置または保存の瑕疵に関する推定)
 建物の設置または保存に瑕疵があることにより他人に損害を生じたときは、その瑕疵は、共用部分の設置または保存にあるものと推定する。とされていますので、判断がつかない場合など、管理組合が明確に反証しない限り、区分所有者の負担は免れることになります。

ピーダ・イルステズ

 管理規約・使用細則はできるだけ具体的に、そして今後ありがちな事項を含め、そのマンション独自の施設なども費用負担を明記しておく必要があります。 
 裁判になった場合は、管理規約が重要視されますので、後々の運営に役に立つことがあります。
 カッコつけただけの規約ではなんの役にも立ちません。

 以前ここで「ルーフバルコニーの柵の外周管理」という題を書きました。そのブログの閲覧数が高い理由は、同様に迷っている方が多いからと思います。
 関連で、多くの規約はメーターボックス及び給・排水ガス配管の各メーターまでが共用部分と記載されています。その先の配管は専有部分になりますが、共用部分であるメーターボックス壁面と専有部分を仕切る壁面は共用部分なので、例えばその壁(コンクリートブロックが多い)の中の配管が貫通している場所で給水管や排水管から漏水が発生して、階下へ被害を与えてしまった場合は、どちらに責任があるのか問題が残ります。

 共用部分である壁面の中については、その専有部分の所有者は管理ができない(壁の中の配管の状態は見ることができない)ため、メーターより先の配管は専有部分とされていても、メーターボックスの壁の中は共用部分であるため疑問が残ると思います。メーター後の配管は専有者の所有であっても、管理は共用部分という解釈も成り立つと思います。

The_dining_roomピーダ・イルステズ

 実際にその壁面の中で漏水事故がありました。ただ被害に対しての保険金が下りたため、その範囲で配管の修理も賄えたため、費用負担の問題は判明しないままでした。
 こちらも管理規約・使用細則で明記しておく事項だと考えます。

peter_ilstedkafkaピーダ・イルステズ

 絵はピーダ・イルステズ(英語だとピーター・イルステッド)の作品です。デンマークの王立美術アカデミーでハンマー・スホイの影響を受けました。スホイはイルステズの妹(赤い壁のダイニングルームの女性)と結婚したので義兄の関係です。
 両者作風は似ていますが、シンとした北欧の静寂の風景が多く、沈黙の詩人と呼ばれて人間心理を追求したスホイに比べ、北欧では貴重な日差しのある少しリッチな生活風景、子供(4人の子宝)が多く登場することから国ではイルステズが好まれています。
 スホイについては別の機会に紹介します。
 松尾好朗

 





マンション名の掲示今昔


 その昔、マンション販売会社は10階程度の建物でも、屋上塔屋や高置水槽の囲いにマンション名とその販売会社名の広告看板を自信満々デカデカと掲げていました。
 今では ”これマジっすか?” というセンスのない看板でも、その当時は新時代に選ばれた人の誇り高きステータスシンボルでした。羨望の的であり、そびえ立つ威容は町のどこからでも沿線鉄道の中からも見ることができて、地域のランドマークの役割を果たしていました。
 今でこそネーミングもロゴタイプもいかにも昭和丸出しですが、長く住んでいる人には馴染んで風景にも溶け込んでいるのでしょう。すでに存在しないデベ会社名を掲げていることもありますけど関係ないようですね。

Tableau I, 1921_by_Piet_Mondriaan

 今では屋上塔屋(エレベーター機械室)や高置水槽(給水タンク)は設備構造の変化によりみられることが少なくなりましたが、10階建て程度がちょうど看板を掲げるのに適している高さでした。タワーマンションの屋上では高すぎてだめなんです。

 最近ではマンション名を探すのも苦労することがあります。エントランス付近の壁面に英文字のステンレス切り文字や、カフェのようにガラス面にサンドブラストかエッチングを見つけてようやく確認できます。

 銘板風で金属に堀文字が流行った時もありました。これはもう古臭い感じを受けますしメッキが剥がれているのを見かけます。銘板ではないのですが、ヒット商品「関係者以外立入禁止〇〇管理組合」という地置きの看板も品が無く採用されません。というか効果もなし意味もなしが理由です。

 7月9日安倍元首相が亡くなられ、キューバや台湾などでは公共施設で半旗を掲げる布告がされ、プーチンさんやタリバンからの弔電も紹介されていました。
 あるマンションのエントランスにも半旗が掲げられていました。このマンションは祝日には国旗、門松から始まり五節句とクリスマス等にはそれぞれの飾り付けがされています。子供を育てるには良い環境でしょう。
 最近では見られなくなった昭和の古き良き風景が新鮮でした。そういえば、祝日はハタビって言いますね。

 国旗(日の丸)で思い出すことがあります。私は中学生で下手くそながら剣道部に入りました。そこでは部員全員が、体育館に掲げられた日の丸に向かい、正座し礼をしてから練習を開始するのが日常でした。
 そんな頃、メーデー明けすぐの授業のこと、教師は開口一番、日の丸なんかを拝んでいる剣道部の奴らは胸くそ悪いからずっと下向いとけ、と中学2年の生徒数名を相手に怒鳴り散らし、わけワカメ???状態でショックでした。

赤・青・黄のコンポジション, 1930Piet_Mondriaan

 そして次の時間の教師は、先生は聖職か労働者か言ってみろと生徒に質問をぶっつけるのです。労働者はともかく、生徒はセイショクという言葉に敏感なお年頃なので、教師の意図とはかなり違う方向で想像力を膨らませ、クラス全体がざわついていました。
 メーデーで何を聞かされたのか、すっかり洗脳され気持ちを高揚させてしまう田舎の公立中学校の教師はこんなレベルでした。当時、教員の日〇教職員組合への加入は9割の時代です。ただ、先生が休み(組織活動)が多いので生徒はいつも大喜びしていましたね。教師も生徒もアホばかりでも、時代は勝手に勢いよく動いていました。
 私は教師から嫌われていたその剣道部で膝を痛め、治療のため通院していました。その病院の息子とその後、私立の高校で3年間同じクラスでした。現在彼はそこで医院長をしています。私は今でも膝が痛くなると日の丸と通院の日々を思い出し、日の丸を見ると膝が軽く反応します。
 私は高校では勉強はともかく、個性をよく認めてくれていましたので、ずっと下を向く必要などありませんでした。そして教師の一部は神父様でした。

Composition No. 10 (1939–42), 油彩
Piet_Mondriaan

 マンションという横文字が大邸宅を意味するのはご存じの通りですが、日本のマンション創世記のネーミングは、今では気恥ずかしい響きを持ったものがありますね。
 開発、販売会社の社長が欧州の建物、生活にあこがれを抱き、少しでも近づこうと頑張った気持ちの表れだと思います。

 私が一時期、暮らしていた賃貸ボロアパートは”ベルメゾン”という名前が頭についていました。外国人の知り合いがフランス人風に発音して、よくからかわれました。

 ネーミングの今昔は別の機会で紹介したいと思います。

 挿絵は、ピエト・モンドリアンの「コンポジション」シリーズです。
 オランダの画家です。
 1920年から「新造形主義」という水平垂直線、原色と無彩色の組み合わせ、幾何学的表現をする美術理論を提唱し、後の工業デザイン、建築などにも影響を与えました。
 その1920年(大正9年)は、日本で初めてメーデーが開催された年です。
 松尾好朗