管理員給与の現実

 「マンション管理員急募!」というチラシが投函されていました。
 以前、同じ内容のチラシが入っていた覚えがあるので、すぐに辞めてしまったのか、何か月も決まらないのかのいずれかでしょう。
 週5日勤務、実労7時間、交通費と作業着等は自前、請負契約(個人事業主)で月14万円、健保や諸税はその中から自分で支払うことになります。
 年末年始の4日間を除きゴミ回収のある祝日も出勤です。時給計算すると931円、これに例えば交通費月5千円を引くと898円ぐらいになると思います。
 2022/08現在、東京都の最低賃金は、時給1,041円(1,071円に変更予定)なので、フルタイムの時給で検索すると求人募集に引っかかりもしません。

 午前中の3時間とか勤務時間が少ないほど時給(時間単価)は上げないと応募がないので、他の時間を有効活用したい人は、フルタイムよりもこちらのパート勤務を選ぶようです。
 マンション管理組合の場合は、前年度に承認された今年度予算の枠がありますので、金額や時間を途中から変更するのは特別な事情がなければ難しいでしょう。管理会社を経由している場合も変更や減額を行う場合は、総会決議と重要事項説明会が必要になります。

Holbein 1535年 「エドワード6世」 
ヘンリー8世の3番目の妃の子の肖像
 

 最低賃金のさらなるアップの声が上がるものの、多くの管理員や清掃員の請負、派遣では関係がないのが現実です。
 ある大手管理会社が、受託先の管理組合から管理費削減の要請を受けました。そして定期清掃の回数と日常清掃の時間を減らしコストダウンを成功させましたと、若い担当が得意げに報告していました。こういうのはアイデアでも何でもなく、コストダウンとは呼びませんね。
 時間を減らされた清掃員は、減らされた分は汚れたまんま次の日にやれば良いやということにはなりません。終わらないので無償の早出残業をするはめになります。そして給与だけは下げてピンハネ金額は確保するのが大手管理会社のノウハウです。
 いずれ下請け会社から嫌われ「何故だ?」と叫ぶ前に、大手であっても管理会社だけでは何一つできないのですから、協力会社すべてを大事に育てていただきたいものです。
 
 ハローワークは公的機関なので、求人には審査があって悪質なところは登録できないという考えは大間違いです。もっともらしい名称のブローカーが暗躍していて、管理や清掃業界でも二重三重のピンハネが行われているのが現実です。親しくなった管理員さんや清掃員さんに詳しく聞けば、管理会社の社員ではなく、登録している会社から派遣されていることが多くあります。
 だったら管理組合は管理会社一社へ全部管理(管理に関わる全てを委託)などは止めて、分離発注(管理組合と各専門業者と直接契約)を行うべきですね、管理組合は費用が高くてもお任せで楽したいのなら別ですが、費用を抑えたいのならこれしかないと私は思っています。

ハンス・ホルバイン 「大使達」
左の「大使達」の絵を画面の左方から鋭角的に見るとこんな絵が出てきます。

 絵を描くのが好きな方は、ホルベイン絵具をご存じかもしれません。名前の画家、ハンス・ホルバイン(Hans Holbein)1498~1543は独のアウグスブルグ(現市)に生まれました。名前の通りアウグストゥスがローマ時代に作った中継貿易の商都です。因みに私の故郷尼崎市と姉妹都市になっています。近くの公園には、アウグスブルク市から寄贈されたローマへと続く道に据えられているマイルストーン(里程標)のレプリカが建っています。

 才能を発揮したくても、世は宗教改革の影響でもう宗教画の需要はありません。彼は英国へ渡り1536年にヘンリー8世の宮廷画家の職を得、当時の宮廷文化が詳細にわかる作品を多く残しています。

 また当時の流行り病ペストを描いた木版画「死の舞踏(ダンス・マカーブル)」シリーズは圧巻です。
 ヘンリー8世の4番目の妃の肖像画がイメージが違うと言われてクビになり、その後ペストの大流行で亡くなりました。
 イタリアルネサンスで学んだ画家たちは北方の故郷へルネサンス文化を持ち帰って開花させました。
 ローマと比べるとド田舎の故郷へ向かう道にはマイルストーンが静かに建って故郷へ導いていたのだと思います。
松尾好朗

アウグスブルクに建つローマへの道のマイルストーンのレプリカ







 
 
 

マンションのインテリア

 8月10日酷暑、上野の東京都美術館に展示されている椅子に座ってきました。
 「フィン・ユールとデンマークの椅子」という展覧会ですが、主に椅子の展示ということで、実際にユールを始めその時代のデンマークの代表的なデザイナーの椅子に座って体感ができ、撮影制限もユルかったです。ユールだけに。

 このホームページへお問合せを戴いた方のご自宅訪問時、120㎡超の専有面積のリビングダイニングに極厚無垢材ウオールナット(胡桃)のテーブルと成形のイスが素敵で刺激を受け、この展示会に出かける気になったのです。

 フィン・ユールが活動した頃のデンマークではバウハウスの影響を受けつつも、1940~60年代、独自のスタイルが生まれ現在に至ります。
 伝統の木工技術の温かみを活かし、シンプルで機能的であっても個性のあるデザインが生まれました。

 展示会での説明はありませんでしたが、8世紀~北欧バイキングは頑丈な船を駆使して、北海やバルト海沿岸、北アフリカまで遠征していました。険しい陸地の移動よりも、港から港へと多くの物を運ぶことができる船が便利で、交易また戦争にも使われた結果、早い時期から造船技術の発達がありました。
 17~19世紀デンマークも世界各地に植民地を持っていました。
 アジアからは、油分を含み船の材料に適したチーク材が運び出されました。チーク材は英客船クインエリザベス号のデッキや内装にも使われています。

 アジアの原住民を酷使した高級木材の伐採、富の収奪は、先の大戦で同地への日本軍の侵攻で終わります。終戦後のアジア諸国は欧米の植民地支配から独立開放へと向かいました。
 その木材は熟練の船大工の技術を基に、時代に適応した家具デザインに活かされ、現在のデニッシュモダンの地位を確立させました。
 ハンス J. ウェグナー、アルネ・ヤコブセン、ボーエ・モーエンセン(ボルゲ・モーゲンセン)等々、垢ぬけて現在でも通用するデザインは卓越した船大工の伝統技術が基になっていたのですね。

フィリッツ・ハンセン社の
SKAGERAKのアウトドア家具

 現在のチーク材は後に植林されたものや、チーク材のようなチークがほとんどです。そのためチーク材に限らずフィン・ユールの頃に作成された作品はビンテージ家具と呼ばれています。
 同様に船の材料に適したマホガニー材(センダン科・桃花心木・主に中南米)がありますが、乱伐され希少木材になっています。こちらもセンダン科ではない似た木材に〇〇マホガニーという名をつけて販売されています。
 不動産の世界で、長野県の旧軽井沢と中軽井沢ならともかく、気候も街道の文化歴史も違う東西南北、奥と新軽井沢が別荘地として新たに命名されるのと同じですね。北軽井沢、東軽井沢、奥軽井沢の住所は群馬県なので、ちょっとやりすぎ。ww

Fritz-Hansen-Tokyo 1872年創業 デンマーク家具ブランド、フリッツ・ハンセン社


 話が飛びますが、大阪・京都・神戸の山の手を走る阪急電車の内装はマホガニーの木目柄(FRPにプリント)です。座席はグリーンの別珍風の生地を使用して、上品にさらっと落ち着いた高級感を演出しています。最近の九州を走る豪華列車の内装は、どれもが安っぽくデコった成金趣味でいただけません。九州と京阪神の精神文化の成熟度の圧倒的な違いでしょうか。ただ、その利用者の多くが九州の人ではなく他県の人です。

 ナナ・ディッツエルというデンマークの女性のデザイナーはご存じですか、1923年生まれというと関東大震災が起きた年ですね。(大正12年)
 ユールに影響を受けたナナさんのこの椅子のシリーズが2014年の日本のグッドデザイン賞を受賞???どういうことでしょう?
 実は、このナナさんの1952年のデザインを完コピ盗作をして、「私がデザインしました。」としてグッドデザイン賞を受けたのが多摩美術大学教授の深澤直人氏です。しかもグッドデザイン賞の審査委員長がその本人というから面の皮が厚すぎ、日本にはまれに見るパクリの大物ですね。

ナナ・ディッツエル ND-01(Nanna Ditzel 1952)
フィン・ユールに刺激を受けたデザインです。

 多摩美の教授には佐野研二郎氏、あのオリンピック公式エンブレム盗作疑惑のツワモノも健在です。
 私は中国や韓国の人が、日本のアニメキャラクターを丸パクりするのをバカにしていましたが、日本の美大の現役教授がこれでは情けないですね。 
 お題から逸れてしまいましたが、インテリア関連情報は別の機会でも提供いたします。
松尾好朗

管理適正化より大切なこと

 Aマンションの管理員のところへ町内会の方が8月の区報の束をもって来られ、「来月からは、毎月2日の午前10時、戸数分の区報を渡すので町内会事務所まで受け取りに来るように」と、取りに来ないと渡さないぞと上から目線全開です。
 これまでは、町内会の地区担当が各マンションまで区報の束を運んできて、管理員が各戸へポスティングしていましたが、紙が重くて嫌になったのか、「そうだ、マンションの管理人に、ここへ取りに来させればいいんだ。」という結論に行き着いたようです。

 相手の日時の都合や、どういう内容で契約しているかなど全くお構いなしですね。
 Aマンションの管理員はゴミ収集の日だけの勤務なので、毎月2日の10時と限られては無理、そもそも町内会の書類等を各戸配付することは管理員の契約外業務です。
 町会の方へは、清掃と少しの事務を請け負っているだけなので、たとえ往復20分程度でも勝手に現場を離れることはできないと伝えると、怒って帰ってしまったそうです。

《パラソルをさす女》1875年クロード・モネ

 そもそも町内会が管理員へ直接指示するのも間違っています。さらに大きな勘違いは、自分たちは区報を各戸へ配る名目で区から収入を受けておきながら、重くて嫌な仕事を、言えば逆らわないだろう弱い立場のマンションの管理員へ、各戸への配付のみならず、運搬まで押し付けようとしたのですね。

クロード・モネ《パラソルを差す女(右向き)》
(1886年)

 思い通りにならないと怒り出すという低レベル、これでは誰からも協力もされないでしょう。
 まず、区報はネットでいつでも手に入り、紙の区報も駅や公共な場所で簡単に手に入るので、区は町内会を経由して発行1/3回だけで町会費を払っているところにだけ配るというムラとムダばかりの配付方法や、すでにどこのマンションの資源置場を見ても「紙の古新聞」は、”聖〇新聞”と”〇旗”だけの現実、新聞折込ももう見直した方がよろしいかと。

 区報に便乗して配られる情報チラシ(地元商店街広告で運営)は「チラシお断り」にも関わらず、管理員が午後に配りその翌朝には不要チラシの箱が区報とそれで山盛りになります。
 役所が毎月せっせと作る紙資源と税金の無駄使いサイクルです。
 管理組合は地元住民とうまく付き合うのも大切ですが、地元の防災訓練や防犯講習など、理事長は弱い立場の管理員や清掃員に押し付けない配慮が必要だと思いますよ。

 夏なので、らしい絵を3枚紹介します。
 1枚目がモネの妻カミーユさんと息子のジャン、ゆらっと振り向いた瞬間のドレスのひだを風にふわりと乗せて表現しています。
 漫画家が筆が乗ってくると好んで描くのが逆光のシーンですが、モネの描く逆光はさわやかな色使いがさすがなところです。雲のきらめきが印象的です。
 モネは1875年にはパリのはずれ北西部のアルジャントゥイユ(セーヌ川沿い)に住んでいましたので、その田舎の風景です。その田舎も鉄道敷設と共に工業化が進み泳げないセーヌ川になりました。
 日本では明治8年の頃、2年後に西郷隆盛率いる薩摩武士の西南戦争(ラストサムライ)が勃発します。 


クロード・モネ《パラソルを差す女(左向き)》
(1886年)

 皆に好かれるこの3枚目の女性は、後妻の連れ娘のスザンヌさん当時18歳(2枚目も)です。陽光と強い風に背に、体を少しすくめ、左手でスカートを軽く押さえています。雲が速く動いています。
 2枚目の絵はおそらく写生ではなくモネの空想で描いたものと私は思っています。空想では人物の影はなどは不要です。ドレスの赤のヒナギクは若くして亡くなった妻カミーユさんを思いモネが描き込んだものといわれています。
 最後に現在のアルジャントゥイユの穏やかな街並みを貼っておきます。
松尾好朗

アルジャントゥイユ Argenteuil