弱者に強気の臆病者

 ほとんどのマンションでは「共用部分には私物等を置かないこと」という禁止ルールが使用細則などで定められています。
 例えば、共用部分である通路にベービーカーなどを置いていると、災害時には避難の障害となり、何より歩く人の邪魔ですね。美観や見通しも悪くなり、私物を放置しているマンションの資産価値は下がります。
 定期清掃の作業中、(共用廊下に)積んである段ボールが濡れたとか自転車を移動されて壊れたとか、だから弁償しろとクレームを言う居住者がいますが、これは管理規約の禁止行為上での事故ですから理屈が成り立ちません。
 適当に許していると、間違いなく「他の家も置いてるじゃないか」と屁理屈をいいますので、普段から厳しくする意味はここにあります。
 

 万引きしたお菓子がマズかったとお店に文句をいうとか、恐喝をしたら相手に反撃されて暴力を受けたと訴えるようなものです。 

 数年前、共用廊下の床を機械洗浄中に、居住者が歩行中に足を滑らせスーツ(イタリア製?)が濡れたので、弁償しろという事故があり、清掃中の掲示(滑りやすいので足元注意)や前々週から作業予定であることの注意喚起を行っているので、裁判になれば完敗はしないと思いますが、その裁判関係費用との差引を考え、保険にも助けられたので相当額を支払うことを選びました。

竹久夢二 セノオ楽譜「心と花」
1926年大正15年)

 このような弱い立場の人を(弱みを握って)強気で執拗に追い詰める臆病な性格の持ち主(チンピラ)は人間に限らず、告げ口も得意な近隣の国でも見られますね、共通しているのは、自分より強い人や大国にはめっぽう弱いところです。(笑) 

竹久夢二 セノオ楽譜「蘭燈」1921年
(大正10年)

 ルールに厳しい管理組合でも、共用廊下のオキハイ(置配)の段ボール箱が目立つようになったのは、中国武漢で発生した新型ウィルスが日本へも感染拡大した以降、宅配便の利用者が増え、在宅でも配達員との接触を嫌い、飲み物などは玄関わきに置配されたまま必要量だけを取り出し、箱はそのまま放置している状況のためです。
 感染防止を優先、段ボール箱の放置は暗黙のルール無視、楽を覚えた居住者に対してルールを元通りに戻すのは容易ではありませんね。

 マンションの郵便受けにも氏名を表示しない人が多い中、館内には役員の氏名、号室などが掲示されています。
 オキハイされた各戸玄関わきの段ボール箱には受け取り人の氏名、電話番号、勤務先まで明記している人もいます。
 宅急便などプロの配達員は自主基準があり、”李下に冠を正さず”(李下不正冠)の通り館内で疑われそうな行為は絶対に行わないのですが、ウーバーイーツなどのフードデリバリーやアマゾンの配達等で素人の配達員をオートロックのマンションにホイホイ入れていることに疑問を抱かないのでしょうか?
 プライバシー情報がお金になる時代ですから気を付けて欲しいですね。 

川端龍子「草の実」 1931(昭和6)年 

 大田区立龍子記念館において「川端龍子の院展時代」というテーマで作品展が開催されています。
 私はこの「草の実」(1931昭和6年)が以前から好きな絵でしたが、院展時代は1928(昭和3)年までの作品ですので、今回は展示されていません。

龍子記念館の様子(大田区中央4-2-1)

川端龍子「阿吽」1918(大正7)年 

 龍子は西洋画家として渡米しましたが、相手にされず日本画家に転向します。このことが日本画一本の画家とは違って、自由な発想の画風を持つ日本画家として成長します。

 大正ロマンといわれた時代、画家として竹久夢二がいます。数点貼り付けます。

竹久夢二「APL・FOOL」 大正15年(1926)
夫人グラフ表紙

 欧州ではジャポニスムの影響を受けたアールヌーボー(1890-1910 エミール・ガレ、ミュシャ、クリムト、ロートレック、スタンランなど)の平面的で曲線が多い構成から、直線で立体的な構成のアールデコ(1920-1930タマラ・ド・レンピッカなど)に変化して行きます。その流れは、ランヴァン、ココ・シャネル、バカラ、そしてニューヨークの摩天楼のデザインなどに引き継がれていきます。

 中国の男性報道官が、福島原発処理水の海洋放出について自国の仕業には知らんぷりしながら、北斎の版画を揶揄しているイラストを嬉しそうに報道していましたが、中国14億人の報道官がこれでは情けないですね、党が望む仕事では優秀な人でしょうが、「人としてマズいっすよ」です。

 中国は古代の貴重な壁画に、安っぽくケバい色で似ても似つかない「オリジナルの修復」をやらかして平気な国なので、残念ながら一党独裁体制での芸術文化水準は「修復不可能」かもしれません。
松尾好朗



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