子供椅子からの卒業

 このマンションで生まれたAさんの息子は元気に育ち、これまで5年間毎日使い続けて、ちょっと窮屈になった子供椅子にお別れをすることにしました。成長に合わせて座面の高さを調整できる子供椅子です。
 区の粗大ごみ受付センターの手続きも終え、マンション内の指定場所に置いたところ、管理室へ「あの子供用の椅子をいただきたいのですが」と子供を抱いたBさんから依頼があり、Aさんに了解いただきリユースが成立、その椅子はめでたく2番目の主人を持てることになりました。

劒山の朝1926(大正15)年
エルキャピタン1925(大正14)年
ジュマ マシッド1931(昭和6)年

 5年間使用してシートが古くなっているものの、木部は良品です。
 Aさんは、子供の成長を支えてくれた椅子だからと、ピカピカに磨いてから出されたことで、Bさんは、これなら大丈夫と椅子から何か感じたものがあったのだと思います。
 家具であってもゴミとして捨てたことで所有権はなくなりますが、粗大ごみシールが貼ってあれば管理下にあると解釈できるので、勝手に持ち去るのは犯罪でしょう。
 黙って持ち去る人や、区の回収より早く回収する業者(売れそうなモノだけ)が多い中で、ちょっといい話だったので書き留めました。
 AさんBさん共に若いママです。捨ててしまうモノでも感謝を込めて見送ることが出来るAさんの澄んだ心、そのモノの価値を見極めて受け入れられるBさんの感性を見習いたいですね。

 本日紹介したいのは吉田博(1876-1950)という人の版画です。没後70年の展覧会を観に行ってきました。(東京都美術館:2021/3/28迄)
 西洋画家、版画家ですが、次男を穂高と命名するほど山が好きで、登山家でもあります。山岳画家と呼ばれる彼の構図は、おきまりの山の構図とは大きく異なります。

亀戸 1927(昭和2)年
神楽坂通り 夜の雨後1929(昭和4)年

 その昔、テントだけでも重かったでしょうが、その上画材も持ち歩いています。このような姿で登っていたようです。そんな彼が自ら体得した者にしか分からない自然観と版画とは思えない繊細な描写は、誰も真似ができない境地に達しています。
 同時代の黒田清輝ら官費でのフランス留学組(油絵・洋画)に対抗して、自費でアメリカへ渡っています。そこでは粗悪で下品な日本の浮世絵が流通していました。
 その経験から彼は後半生、日本の版画の質を向上することに全力を注ぎます。


 彼が他の画家・版画家と違うところは卓越した技量はもちろんですが、海外の人々が想像、そして期待する日本らしさ、いわゆる外国人受けする題材を決して質を落とさずに大量に摺って、商売として版画の販売をやってのけているところです。
 また、四季の移ろい、一日の時間変化、お天気模様を同じ版木を使って色や版木の枚数の変化で表現することに抵抗がありませんでした。これは、同じものを一定枚数摺ったら版木を燃やす場合がありますので、邪道といわれることがあります。
 桜と五重塔に和服の娘、富士山と松など、期待通りの日本らしさで買って帰りたくなるような上質な版画を摺り、その資金で多くの貧乏画家に活力を与え、戦後の芸術復興に尽くしました。 

 ダイアナ妃の執務室の壁には2枚、吉田博の版画が存在感を示していました。
 作品のコレクターには、フロイト、マッカーサー元帥、ノラジョーンズがいます。

猿沢池
光る海

 吉田博、伊藤若冲等、日本のアカデミックな視点から外れ、主流から認められなかったアーチストが、海外に認められてから逆輸入され、注目されるところが美術界に限らず日本的です。
松尾